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日常。

私の人生のキリトリ。果てしなく、だけどいつかは終わるもの。「日常」。つらつらと書いていきます。

わたしの春。

こんにちは。

 

 

 

今日は雲がないほどの晴れです ( ´ ▽ ` )

 

 

 

さて、私は明日からみなさんよりお先に春を迎えます。

 

 

 

というのも、明日から新しい環境に飛び込むのです。

 

 

 

春。

新しいことが始まる季節。

みなさんは、好きですか?

 

 

 

と、聞いておきながら私は‥‥‥「好き」とは言い切れないのです。笑

 

 

 

やっぱり、春が来る前はそわそわします。

暖かい風が吹いて、桜が咲いて、ああ心地いいなあと思うし、わくわくワンピース着たい!ってそわそわします。

だけどそれもつかの間で、いろんなことが目まぐるしく始まります。

そうするとあっという間に桜が散って、心地いいと思っていた気候が当たり前になっていて、なんだかもっと1日1日大切にしたかったなとか、これからも一瞬で過ぎていくんだろなとか、緑の葉っぱを見て切なくなってしまいます。

 

 

まあ結果的に、春が始まる前が一番好きですね。笑

友達とも遊べるし、夜も気持ちいいし。

 

 

 

季節はいろいろこだわりがあると思うんですが、

月になるとどうですか?

 

 

昨日友達と話してたことなんですが、私は個人的に2月が一番好きではないんです。

うーん、今までの思い出とかも関係するんですが。(受験とか、風邪とか、、、)

気候がね、寒くて常に曇っている印象だし、なんか、寂しいんですよね。

秋の寂しさとはちょっと違います。逆に秋は、寂しさを楽しみます。笑

ひとりでベランダに出て「あーさみしいさみしい」って思いながら、実は内心「いや、この気候は居心地が良すぎる!」とか思っていたり、わざと寂しい映画を見たり、しっっぽりと、でもちょっとひとりのスリル感を楽しんでいる気がします ( ´ ▽ ` )

 

 

 

1日でいうと、どうでしょう?

 

 

 

私は、基本的には夜がきらいなんです。

というか、昔からあまり寝るのが好きではないんです。

 

 

 

だから、もう一日中寝ていたい!!

昼まで寝ちゃった!!

とか、すごいなって思います。

 

 

 

できれば、ずっと起きてたい。

うーん、でも人間だから、

疲れは取りたいしある程度は寝たいけど。

 

 

 

夜も昼も、時々朝も、さみしいときは、あります。

みんなが夜寝静まっているとき、昼も日の光が強い中家にいるとき、かといってざわざわした人混みに紛れても、私だけ取り残されたように感じます。

朝は、楽しい夢から覚めたとき、一日が始まって、なにもしなくて終わるとき。

 

 

いやあ、書いてると自分の性格がわかりますね。笑

寂しがりで、ネガティブすぎる。笑

 

 

 

世間が中心に私がぽつんといる。

そう考えて生きてきたし、今になって考え方はそう簡単には変わりません。

 

 

 

私はまだ「わたし」の存在価値を認められていないのかも。

だからこそみんながいてのわたしで、

そのために自分が動かないと私の人生は動かない、と思っているから、

行動力があるね。って言われてきたのかもしれません。

 

 

 

昔から、私はシンデレラタイプの人間ではない、と完全否定しています。

でもやっぱりみんなと同じようにシンデレラには憧れるし、だから、待ってちゃだめだって思ってしまうんですよね。

 

 

 

きっと私は最後の最後、自分の人生が終わるまで、自分のことを認められないかもしれない。だけど、明日から始まることもそう、自分は、誰かの幸せがあって初めて自分が幸せになれるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一緒にいよう。ひとりになろう。

今日朝起きたてで、YouTubeを開いた時、

Gregory and the Hawk という歌手のMoenie and Kitchi というアルバムが関連でホームにあがってきていました。

なんとなくジャケットが可愛くて気になって開いたのですが、なんか少女のような透き通った歌声だし、ギターが心地いいし、今日はバレンタインだし‥‥‥←笑

 

 

癒されてずっと聞いています

"Oats We Sow"

 

 

 

 

ハッピーバレンタイン ( ´ ▽ ` )ノ !

 

 

 

 

バレンタイン気分を感じることなく終わってしまいそうだったので、

Myチョコとして、カフェに行ってきました。笑

 

 

 

そういえば、一人カフェなんて本当に久しぶり。

前はよく行っていたのだけれど、いつの間にか誰かと行くことが当たり前になっていたし今日はちょっとだけそわそわした。

 

 

 

カフェで、源さんと又吉の対談を読んでいたのだけれど、

まさしく私の状況が書かれていたようでした。

 

 

 

一人から、誰かといることが当たり前になること。

 

 

 

私は、もともと人が好きだったのだと思う。

だけど素直になれなかったり、

伝え方がわからなくて、

人とは一定の距離を保っていた気がする。

 

 

 

病気になってそのことに気づいて、いや、なんか、下手でもいいや、一緒にいたい、と思う気持ちの方が強くなったのです。

 

 

 

源さんもまさしく同じような境遇を体験されてました。

 

 

 

源さんはもっとクールで、自分が人見知りだというと、

「コミュニケーションを取る努力をしない人間なので、気を使ってください。」

と人に言っているようで恥ずかしいからやめた。

と、源さんらしい自分に厳しい言葉で語っていました。

 

 

 

でも、人といることを、難しく考えなくていいと思います。

というか、考えないようにした。

誰かと一緒にいることが当たり前になったとか、

最近一人でいることが多くなったとか、

その状況を、いいとか悪いとか思うんじゃなくて、

この人といたい、あの人とあそこへ行きたい、今日は一人でいたい。

その素直な気持ちでいいと思いました。

 

 

 

でも、もともと私が誰かに何かをすることで、喜んでもらったり、笑ってもらったり、楽しいと思ってもらったりすることが好きなので、これしよう!あれしよう!って思い立った時に、誰かの顔が浮かぶのは、嬉しいことだなと思います。うん、それだけ。

きっとそれだけ。

 

 

 

タマシイ

お姉ちゃんにタマシイの話をされたので、

書き留めておこうと思います。笑

 

 

 

 

 

姉「あのさ、この人人生何回目やなってわかる人いーひん?」

 

 

私「???笑」

 

 

 

 

 

 

 

人間はタマシイが最高で10回生まれ変わるそう。

そして、タマシイが生まれ変わるとき、自分では越えられない壁にぶち当たるので、悩みを伴うのである。

その中でも9回目が一番苦しく、それを乗り越えた人のみ、無事10回のタマシイの生まれ変わりが完了するそうです。

そのあとは、どうなると思いますか?

 

 

人間は、森や、海や、空という、自然になるのだそう。

 

 

木々に風が通るとき、心地いいと感じたことはあるでしょう。

キラキラ光る海を見ると癒されて、

爽やかな青い空、優しい夕暮れをみると、ほっとします。

 

 

そんな、人間がどこか惹かれる、

時には偉大なパワーを感じる自然は、

実は苦しみを頑張って越えた人間たちがつくっているのです。

 

 

 

話を聞いた時はよくわからなかったけど、確かに、そうかもしれない。

というか、そう思って見たら、なんか、面白いかも。

 

 

お姉ちゃんの伝えたかったことは、

そんな9回目の苦しみに比べれば、

今の悩みなんてちっぽけなことだということでした、、、

 

 

 

が、私は幼稚 & ネガティブなので!まだそんな風には考えられなくて。笑

 

 

 

誰にとってもその時の悩みは自分にとってすごく大きくて重要な悩みだし、

「そんなことで」という大人にはなりたくないのです。

悩みを聞く時、私はその人のことを理解することを優先するのではなく、その人に寄り添うことに重きを置いています。

そうすれば、他人の悩みではなくなるし、「そんなこと」にはならないのです。

 

 

 

だって、きっと今、

今日バレンタインを渡して告白する女の子は、

どうやって渡すかも、どんな服を着るかも、悩んでいることでしょう。

「そんなこと」じゃ、ないもんね。悩むよね。

 

 

話を戻します。笑

えっと、まあ、今の悩みはまだ大丈夫、一番苦しい悩みじゃない。

という話だったのですが、

同じように何回も何回も悩んで、苦しんだ人だけが生まれ変われるのが、自然だということが、なんか、面白いですよね。

 

 

来世が

お金持ちとか、名声のある人とか、そゆなんじゃなくて、

人間を生かすための居場所になってあげること。

 

 

優しいなあ。そういう風に考えたい。

 

 

10回まで生まれ変われなかった人は、きっと、また人間になるのでしょう。

自然にはなれず、もう一度、悩んで、苦しんで、同じ時に生きた10回目のタマシイさんの空に癒されるのでしょう。

 

 

こんなん考えてたら、もっと深く考えたくなります。

自分は前世、10回生まれ変われなかったから、神様にもう一度やりなおしなさいと言われ、今こうして生きて、悩んでいるのか。

そもそも前世などなく、私はスタートタイプの人間で、だからこんなに不器用で生きづらいのか。

いったい、今何回生まれ変われたのだろうか。

 

 

 

もくもく‥‥‥( ´ ▽ ` )

 

 

 

私の周りにいる人は、みんな、きっと、自然になれます。

だから私も、みんなと一緒に自然になれるように、一生懸命生きなきゃ。

 

 

 

 

あなたは、何回目?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

胸の痛みと心の苦しみ、とは?

昨日、心が苦しいということはこういうことなのかあと思いました。

 

 

というのは、朝、失恋した夢を見て起きたのです。

自分なりに頑張って、誘って、お話をして、

自分の想いを告げたのに、

そんな風にみていなかったと、他に好きな人がいると、

お決まりの振られ方で。

 

 

誤魔化したいわたしは笑って、でもどこかチクチクと、ズキズキと、なんとも言いようのない痛みを感じ、起きたのです。

 

 

でもきっと、その痛みは生きていく中で、心を強くする大切な経験だと感じました。

 

 

というのは、夜、過呼吸になる程大泣きをしたからです。

 

 

わたしの中にいる「カラッポ」というやつは妙ないきもので、突然お腹を空かしてのしかかってきたり、夜をとてつもなく暗いさみしい夜にするやつなのです。

いつもはミニサイズでおとなしいやつなのですが、よくわからないタイミングでわたしより大きくなり、心を占領し、小さいけれどもわたしの中にある明るさ、電球をも覆ってしまうくらい大きくなるのです。

 

 

訳がわからないほど叫び、呼吸をし、泣きました。

くそう。

 

 

胸が痛い。

 

 

苦しい苦しい、あれ、酸素が入ってこない、ちくちく胸が痛む、あれ、どうしよう、

 

 

ああ、

胸が痛いって悲しいことだなあ。

朝の心が苦しいなら、友達と泣けばいいし、お姉ちゃんに慰めてもらえばいいし、やけになってカラオケで大声を出したらいいし、そうやって疲れて眠ればいい。

次の、次の、次の朝くらいには、ちょっとはすっきりしているだろう。

1年後の朝くらいには、心が強くなっているだろう。

 

 

ひとり戦わなければいけないどうしようもないこの胸の痛みは、もういやだよ。

 

 

一つ解説をすると、よく少女マンガで使われる、

「あの人を見ると、胸がドキドキする」

「他の女の子と楽しそうに話しているのを見ると、胸がチクチクするの」

「振られてもまだ目で追ってしまうなんて。胸が痛いよ‥‥。」

あれは正確にいうと、「心が苦しい」です。

人は心で感じて、苦しくなって、伸び縮みしながら、大人になってゆくにつれて柔軟になっていって、そして少女は女性へと変わるのです。(遠い目)

 

 

私は、心が苦しいとはこういうことなのかと思っただけで、

まだ知りません。

いつかそんな、苦しくなれるくらい誰かを好きになって、ぶつかって、心の苦しみを知って、

 

 

泣いて、泣いて、疲れて眠って、

いつか強くなりたいと思います。

 

 

 

 

 

 

日常。

日常。

 

 

それは、誰にでもおかまいなしにやってくるもの。

もちろん楽しい日も、悲しくてやりきれない日も、繰り返しやってきます。

 

 

私はそんな日常に振り回されないよう、

工夫しながら、おもしろおかしく、自分のペースで生きていきたいと思い、

このブログを始めることにしました。

 

 

 

私は中学生の頃から、ノートに向き合うのが好きでした。

ネガティブな考えも、前向きな考えも、ここなら誰にも見られないし、吐き出しても、恥ずかしくなかったから。

そこにはもう一人、受け入れてくれる誰かがいるようで、自分の居場所の一つでした。

 

 

去年、私はしあわせ日記というものを書いていました。

4行日記を書き、5行目に、今日の一番嬉しかったこと、楽しかったことを書く、というものです。

 

 

まめで、完璧主義な私は、

ほぼ毎日欠かさず書いていました。

 

 

日記が途絶えたのは8月のこと。

 

 

2016年夏、

私はうつ病摂食障害だということがわかりました。

 

 

毎日朝、焦燥感に駆られながらびっくりして起き、

1日の食べ物を考えながら過ごし、

なんの満足感もなく終わる。

 

 

次第に体は鉛のように重くなり、

訳もなく悲しくて涙が止まらない。

 

 

私を受け入れてくれていた、日記。

気がつけば、

そこには、自分の居場所はもうありませんでした。

 

 

見返せば、独りよがりの日記になっていたからです。

自分で自分を受け入れるノートさえ、遠ざけていたのです。

 

 

 

でも今になって、芯の部分のわたしはきっと変われないし、変わらなくてもいいかなと思います。

長所と短所は紙一重だから、そんな自分も、どんな人も、工夫しながらつきあってゆくのです。

 

だから、今年は、言葉を変えて、ブログで書くのです。

人に見られてもいいように自分のネガティブさを、工夫しながら吐き出してゆくのです。

 

 

ゆるゆる、ふわふわ、ときにはしゃきしゃき。

つらつらと書いていきます。

 

 

そうして、生活は、続くのです。